2010年7月11日日曜日

社会政策学会共通論題報告を終えて

社会政策学会(第121回大会, 2010年6月19日@早稲田大学)での共通論題パネルで「健康概念の転換と地域展開」と題して報告しました。
そこで私が主張したことは概略以下の3点です。

1.従来の地域包括ケアを巡る議論はアカデミックな検証に堪えない不満足なものである(このため現在の運動は、関係者による根拠の確認を欠いた信念と利害の反映の場になってしまっている)。
2.次代のヘルスケアシステムが地域性・包括性を有するという意味において、文字通りの意味における地域包括ケアシステムとなることには確かな根拠がある。
3.とはいえ、地域包括ケアシステムには、システムの特性からみて固有の課題領域が生ずることになる。

これに対して、いくつかの批判・疑問が提示されました。

そのうち、強い批判を展開されたのは二木立氏でした。私の理解した氏の批判の要諦は、病院医療の重要性は減じておらず、地域包括ケアへの移行は現時点では厚労省の願望の域を出ないということでした。この批判が当たっているかどうかをきちんと判断するには、拙著『病院の世紀の理論』を読んで頂くほかありません。というのも、二木氏も正しいことを主張することがあるからです。

ただし、報告内容にやや誤解を招きやすい部分があったことにも批判・疑問を頂くことで気がつきました。それは、上の論点を順に聞かされると、次代のヘルスケアとして、具体的な姿をもった「地域包括ケアシステム」が出現することが不可避であるという印象を持つということでした。

実のところ、地域包括ケアがどのようなものとして確立するかは、現時点ではわかりません。上の第3点として議論したかったことは、そのような不確かさがあっても、少なくともいくつかの課題領域ができるはずだという議論です。当日提起した、自己決定の「過剰」や、施設ケアのアイデンティティの危機は、地域包括ケアシステムがいかなる内実を持とうとも、重要性を増してゆくと考えられる課題領域なのです。

ところが、当日の議論ではこの私がつけていた留保が伝わりにくかった気がします。むしろ、どのような包括ケアの可能性のレンジがあるかについて明示的に議論しておくべきだったかと反省しています。この点をもう少し整理していれば、地域包括ケアになるのかならないのか、という不毛な二項対立的議論を避けることができたのではないかと思っています。二木氏からももう少し建設的な意見を聞くことができたかもしれません。

折しも有斐閣の『書斎の窓』に小文を書くことを依頼されていたこともあって、今次の報告で明示的に議論しなかった点、すなわち、

4.ヘルスケアシステムの地域包括ケア化は必然としても、それは内実にどのような幅を持ちうるのか。

について議論を試みています。ご関心のある方はご覧頂ければと存じます。

猪飼周平「病院の世紀の理論から地域包括ケアの社会理論へ」(原稿)
http://ikai.soc.hit-u.ac.jp/10/shosai_no_mado.pdf

なお、この度の反省を踏まえた、今次の報告に関する総括的議論については、社会政策学会誌『社会政策』に収載されることになる予定です。

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