2010年7月21日水曜日

遅い夕食にて

先日、訪問看護の分野では大変著名な秋山正子さんと遅い夕食をご一緒させて頂く機会がありました。噂に違わぬ方で、私たち学者にとって学ぶべきことを身をもって知っておられる方だという印象を強くもちました。

さて、その席で眼を開かされる経験をしました。それは、いわゆるデスエデュケーションに関する議論になったときです。私は、デスエデュケーションを社会に広めることは日本社会に幸せをもたらすとは限らない、いいかえると、死を直視することでよき生を生きることができるという主張に一般性はないと考えているのです、と述べました。これに対し、秋山さんは、死の教育が必要なのは、本人よりもむしろ本人の死を受け入れられない家族だと思う、という趣旨のことを言われました(私が理解した限り)。

これはきわめて日本社会における死の取扱いの問題の本質を突いた発言であると感じました。医療費の高騰を防ぐという目的を背後にもった功利主義的観点からのデスエデュケーション論を乗り越えるヒントがここにあるかもしれません。

この点については、いずれまとまった形で議論してみたいと思います。

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