2010年8月9日月曜日

死者の歴史への関与

深谷克己の「知命の滋味」(『歴史書通信』2010.7, no.190)という文章を読む機会がありました。

これは、老境にいたって研究者が味わえる「自由」を、柳生宗矩の「漸く知命の年を過ぎ、この道の滋味を得たり」の「滋味」に重ね合わせたもので、それ自体大変興味深いものでしたが、より興味深かったのは、筆者が「自由」を得て可能となった思考の1例として提示した死者の歴史への関与に関する部分です。

「生きている者、つまり「生者」だが、進行中の歴史を生者が5割つくっているが、もう5割は「死者」がつくっていると考え始めている。・・・それほどに歴史に対する死者の関与、規定力は大きく、このことを見ない歴史像は成り立たない、と考えるようになっている。・・・個人から諸集団、民族、国家まで、生者は、その来歴にかかわる先人・先祖、つまり死者の側を飾り立て、変形させ、生者の側の上下尊貴優劣の争いと秩序化に活用してきた。所有や分業、階級というような見慣れた区分概念が無効だと言っているのではないが、そこに生者と死者の関係性を組み込ませないと、体感できる歴史像に結べないということである。こんな考え方をするのが、古希の歴史家に恵まれた「滋味」というものである。」(p. 4)

そもそも文明というものは基本的に死者によって作り上げられたものですので、歴史が文明に規定されているという意味では、死者の歴史への影響力は自明でしょう。したがって、ここで述べられているのは、死者としての個人や集団のことと解釈できます。

深谷がどのようなことをイメージしているのかはわかりませんが、特定の死者を社会が単に何らかの意味合いをもたせたシンボルとして扱うということであれば、普通の話で面白い議論にはならないと思います。

面白いのは、特定の死者とのパーソナルな関係性の中で生きる人が集まって歴史を作る現場としての現在が営まれてゆくというイメージです。ここで生者と関係を結ぶ死者は「先祖」として自分に至る連続的系譜かもしれないし、また特定の亡き家族や友人かもしれません。これが歴史にどのような作用を及ぼすのでしょうか。

また、現代社会においては、少なくとも若いうちは、自分の死からも他人の死からも、概して遠ざけられているといえるでしょう。時代によって、死との接点の大きさが異なるとすれば、人びとが死者に規定される度合いも時代によって異なるでしょう。それが、時代によって、死者の歴史への関与の程度の違いとして現れるのでしょうか。

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