2010年10月26日火曜日

御礼 『病院の世紀の理論』の重版決定しました

拙著『病院の世紀の理論』の重版が決定しました。類書がなく、またディシプリンとしても歴史、社会学、政策学を横断する本書を、どの程度の方が読んで下さるのだろうかと思っていました。ところが、思いがけないことに、狭いアカデミックサークルを越えて多くの方々がお読み下さる結果となりました。その中には、医療関係者、行政関係者の方々も含まれ、本著の出版を契機に多くの方々の知己を得ることができました。

そしてとくに有り難いことに、将来を担う若い大学院生が批判的精神をもって丹念に読で下さっていると伺っています。本書が何らかの学術的貢献を果たし、やがて次代の研究の中に溶け込んでゆくことができればこれに過ぎたることはありません。

本書を支えて下さった皆様には、重版決定のタイミングを借りて心より御礼申し上げます。


ところで、『病院の世紀の理論』は各所において不十分な著作ですが、それでもこれを書くまでに10年かかりました。これだけの時間がかかったのはなぜでしょうか。

大学院生時代に素朴に思っていたこととして、偉大な研究者であれそうでない研究者であれ、体系的な研究成果という点では、一人の社会科学者が生涯をかけても、せいぜい2,3冊の著作しか残すことができないのはなぜかという問いがありました。研究者には、派生的な著作を多く残す多産なタイプと、寡作なタイプがありますが、いずれにせよ、一人の研究者による本質的な知的貢献については、2,3回が限界のように思われます。

上の問いに対して、この度研究書を執筆した経験から、1つの仮説を提出しておきたいと思います。それは、研究者の認識の深化を速める有効な手段はないというものです(遅くする方法はいくらでもありますが)。私の場合、熱心に読書をしていても、散歩をしていても、「ああそうか」という気づきはポツリポツリとある程度の間隔をおいて現われました。これを速める方法はないものかと工夫しようとしたこともありますが、ここまでのところポツリポツリで来ています。おそらく、研究のフロンティア(誰も先人が考えていない問いの領域)を前に進むのは、一歩一歩しかないということなのだと思います。

これは、私の恩師の一人である岩井克人が、「社会科学は時間がかかる。若くて高い知見に達することはできない」と言っていたことに対応しますし、ワープロが普及し、論文や本が技術的に大幅に書きやすくなったにもかかわらず、画期的な著作が出現するペースが速くなっているようにみえないこととも対応すると思います。とすれば、この仮説は多少もっともらしいということになるかもしれません。結局のところ、現代の研究者は、かつてよりも小仕事が上手くなっただけというのが真実なのかもしれません。

今次の本を書くのに結局10年かかりました。30年研究するとすれば、ひとまとまりの研究は3回が限界ということになります。

1 件のコメント:

  1. うわ〜、おめでとうございます。
    この種の本が重版されるというところに、日本の知的業界もまだまだ捨てたものじゃないと感じます。
    考えてみれば、免疫学や再生医療の分野では乏しい研究費のもと、世界的業績を上げているのですから、ともかく国の科学政策が誤った方向に行かぬよう監視するしかないですね。

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