2010年11月21日日曜日

学問と「転向」

前回の投稿から少し日が空きました。当ブログをお読みになっておられる方が少数なりともいらっしゃるようですので、できれば定期的に投稿をとも思いますが、言語化が上手くできない時期が続きました。本ブログをお読み下さっている奇特な方には、ぼちぼちお付き合い頂ければ幸いです。

先回の投稿でも書きましたが、私の理解ではひとまとまりの研究には10年単位の時間がかかります。したがって、本質的な仕事をするチャンスは、生涯を研究者として全うするとしても、あと3回ということになります(まあ充分ですが)。これを野球のバッティングにたとえていえば、研究者人生には打席に入る機会が最大4回あるということになりましょう。思うに、4打数1安打打てれば研究者として一流であるといってよいでしょう。このたとえでいえば、私の現状は、1打席目を振りにいったところでしょうか。かつて広島カープにランスという打率2割そこそこで三振王とホームラン王の両方を獲得した人がありましたが、個人的にいえば、彼のような研究スタイルが好みです。私としては『病院の世紀の理論』で思い切りバットを振ってみたつもりです。もっとも、その結末については私にはなんともわかりません。空振りだけは免れたようですが、打球はピッチャーの前をボテボテ転がっているかもしれません。

さて、当ブログでもぼちぼち書いておりましたように、本著が出て以降各所から過分の引き合いがありまして、どちらかといえば様々な分野の方々とのコミュニケーションにエネルギーを割いてきました。そこで、とくにヘルスケアの現場や政策に関わる方々がどのような知識を望んでいるのかについて、理解する機会を得たことは大変重要な経験でした。それによって、私がなし得る貢献がどのようなことであるのかを改めて理解することができました。その意味では、本を出版して以降の半年あまりの期間は、私にとっては学者として腹を括るための期間になりました。

学者として腹を括ってみると、かつて「経済学者」の中谷巌氏が「転向宣言」をしたときに受けた奇異な感じをよく説明できるように思います。彼は『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社、2008年)において、従来の新古典派的な立場を自己批判し「構造改革」への決別を宣言しました。その是非をめぐって多少の論争があったようですが、私が感じたのは、その「転向」の是非ではなく、そもそも学者が「転向」することなど可能なのかという疑問でした。

私の理解では、学者がなぜ学問をするのかといえば、自分が理解できていない現象がそこにあるからです。これはいいかえれば、学者が学問をしている限り、自分が現在もっている世界認識が間違っているかもしれないという前提を認めていることになります。とすれば、厳密には、学者が学者である限り、「転向」する以前にある特定の立場に立つことができないはずなのです。したがって、中谷の「転向」は、それが受けとめられた社会的文脈である学者の「転向」ではなく、学者であることを辞めた人、たとえば専門家としての宣言であると理解しなければなりません。

私の理解では、学問に最も忠実な態度とは、自分の発言に責任を取らないことにほかなりません。責任を取らないことによって真理を探究する自由を確保すること、ここに学問という営みの本質があると思います。学者が言えるのは「現在の私には世界はかくかくしかじかにみえる」ということです。

この立場は、ウェーバーの主張する学者が取るべき立場に近いものといえるのではないかと思います。ウェーバーの場合、これを「価値自由」という形で定式化してしまったために、厳密な意味での価値自由など存在しないといった批判を浴びることになりましたが、おそらくウェーバーにとってはそのような論争に巻き込まれることは本意ではなかったと思います。私はウェーバーが言いたかったことは、「学者は常に間違っているという前提で真理を探究する存在である」ではなかったかと思っています。

この半年あまりの期間、私が葛藤していたことは、私の理解するウェーバー流の学者が、いかにして社会に貢献することがあり得るのかということでした。そして、その一応の結論として得たのは、「学者は学問をすることによってもっとも社会に貢献することができる」ということでした。私としては、私の第2打席を、このような構えで迎えようと思っています。

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