2011年3月25日金曜日

原稿出来、ついでに震災に右往左往する学者について

『JIM』(医学書院)向けの原稿を一応脱稿しました。6月号に掲載予定と伺っています。

かねてより私にとっての課題である、わかりやすい説明ができない問題に今回も直面しまして、脱稿前の仕上げで七転八倒しましたが、一応形にしましたので、ご関心のある方は下のリンクをご参照ください。

猪飼周平「歴史的必然としての地域包括ケア化」『JIM』2011.6(未定稿)

なお、原稿については自由に広めて頂いて結構ですが、ご引用に際しては掲載誌からお願い致します。


以下少し震災後の状況の推移に関する雑感を。

震災後、私のごく身近なところでも変化がありました。全く個人的な話で誠に恐縮ですが、アマゾンをみるかぎり、私の本がほとんど売れなくなりました。四半世紀後のヘルスケアの姿に関する知識へのニーズがこれほど小さくなる時期もないと思われますので、当然といえば当然のことでしょう。かくいう私自身も、自分の研究を放棄して、現場に飛んでいって支援活動に加わりたい衝動に日々駆られます。おそらく、社会全体が浮き足立っているということなのでしょう。

ただ、今は、私の同業者やそれを志望する大学院生にとっては、自分が学者としてどこまで腹が決まっているかを試される状況でもあります。医師が震災の現場で役に立つのは、彼らの献身的姿勢にもよりますが、基本的には彼らがそのような活動に適した専門性を有しているからにほかなりません。その点からいえば、学者は学問によって知識を生み出すことに比較優位があるわけですから、社会貢献も基本的には学問することを通じてやらなければ、代替不可能な貢献はできません。したがって、医師はこういう非常時には震災の現場へはせ参じるべきですし、学者(特に災害支援に縁のない研究をしている学者)はこういう非常時であろうと淡々と研究すべき、ということになります。

とはいえ、このような状況で本当に淡々と研究することが相当に難しいことも事実です。そこで、浮き足立っている学者や大学院生の皆さんには(私を含めてですが)、比較優位のない活動に徒に飛び込んでゆく前に、まずは、自分の学問が被災者支援へと結びつくような道があるかどうかを検討してみることを勧めたいと思います。

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