2011年6月8日水曜日

社会政策学会学会賞(奨励賞)という懐かしいもの

このたび、『病院の世紀の理論』が社会政策学会学会賞(奨励賞)を受賞しました。これまで多くの方々のご支援に感謝申し上げます。

とはいえ、率直にいえば、私は受賞を知らされたとき、当初大変当惑しました。というのも、私は同書を「三振」覚悟で「ホームラン」を狙うような意気込みで書いていたからです。このため、今回の受賞は「センター前ヒットおめでとう」と言われているようで、どのように受け止めて良いのかはじめわかりませんでした。このように書くと大変傲慢に聞こえるかもしれませんが、医療政策の領域に私のような研究が全く存在していなかったこと、またその結果として臨床の現場で奮闘している人びとが深い混迷の中にあることはわかっていましたので、とにかく中途半端なものは出せないというプレッシャーを自分にかけて書いていました。このため、「センター前ヒット」で良いということは私にとってはあり得なかったのでした。

ところが、5月21日学会総会における授賞式において、森建資学会賞選考委員長が読み上げた選考理由のくだりが、私にとっては大変ありがたいものだったものですから、結局のところ、すっかり納得して受賞して参ることになりました。以下、選考理由の評価的部分を抜粋してみましょう。

本書は、大きな図柄を描く問題提起的な書物で、理論的であると同時に歴史分析の手続きを踏むという理論と歴史の往還の書であるとともに、それを実践的課題に結び付けようとする点が評価される。なぜイギリスや日本で同時的に病院への要請が高まったのかは不明である点などは今後の解明が待たれる。また本書の方法に関して、各国の医療制度をイギリス型やアメリカ型と決めつけることが妥当なのか、あるいはプライマリケア/セカンダリケアの分類の有効性などといった疑問が出された。また病院の世紀の終焉としていわれる包括的ケアシステムの必要といった指摘はさほど目新しいものでなく、終焉に関してもっとオリジナリティに溢れた分析を望む意見もあった。(詳細については社会政策学会ウェブサイトへ)

読めば明らかですが、褒めているのは最初の一文だけで、あとは「足りない点」の列挙です。選考委員会は、まさに研究を「奨励」する気満々なわけで、私は非常に懐かしいものに触れた気がしました。

思えば、大学院を出てからというもの、永らく教育的見地から私に良い研究をと励ます人はありませんでした。研究を褒める人、批判する人、非難する人には多く出会いましたが、研究を奨励する人は絶えてありませんでした。それこそ職業研究者(特に1人1芸の文系の場合)になってからの厳しさで、研究するもしないも自分次第で、いかに自分を研究に追い込むかが、研究者の能力のかなりの部分を占めるという現実に直面してきたわけです。

私が最初の任地佐賀大学に就職しようとしていた頃、恩師に挨拶に伺った際「ちょくちょく東京にも戻ってきますので今後ともどうぞよろしくご指導下さい」と申しましたところ、「君は佐賀でがんばりなさい」とにべもない返事をされてしまいました。その時、私は、否応なく「これからは自分の力で研究を切り開いてゆかなければならない」ということを悟ったのでした。そしてそれ以降、誰にも奨励されずに10年余にわたって研究してきたわけです(もっとも、教師に恵まれない研究者の場合、もっと早い時点で独り立ちを余儀なくされる場合もあるでしょうけれども)。

そういう年月を過ごしていたものですから、今回の奨励賞が文字通り研究を奨励するものだったことは、しばし私を大学院時代に引き戻したのでした。もちろん、私の大学院時代も決して安穏とした時代ではありませんでしたが、今から思えば、研究という点では実に守られた環境にいたものだと思います。

選考理由で書かれている批判に対する反論は、改めてきちんとさせていただかなければなりませんが、ともかくも、今はありがたく奨励賞を受け取っておきたいと思います。

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