2010年5月7日金曜日

書評依頼を受けました

歴史学研究会(『歴史学研究』を刊行)からの書評依頼を受けることにしました。
ひとまず書名については伏せておきますが、公衆衛生史領域の論考です。

公衆衛生の領域には、まず人びとに健康的な生活を勧めることで人びとの健康を増進しようとする保健学が、政策に最も影響を及ぼすメインストリームとして存在します。これに対し、「健康」を媒介として人びとを内面から操作しようとする権力の存在を見出すことで、社会の健康化を警戒するフーコー派に属する社会学がメインストリームに対峙する格好となっています。

おそらく私自身は、このどちらにも属していないと思います。というのも、どちらの立場にも共感できないからです。前者の立場は、人びとを「健康」にすれば社会が幸福になると本気で思っているという意味でナイーヴすぎてついてゆけません。他方後者についても、至る所に権力的作用を発見したとしてもそのこと自体が彼らが主張するほど胡散臭いとは感じられないからです。

今回書評を受けた著作は、この後者の立場=フーコー派を出発点として書かれたものです。

フーコー派の議論について、かつて中河伸俊さんが「いいじゃないの幸せならば」の論理に迎撃される可能性があると指摘しました。もちろん、フーコー派の人びとがこの点に自覚的でないわけではなく、たとえば柄本三代子さんの、私たちは権力を丸ごと「批判」しているのではなく「対象化」しているのだという主張には、この「いいじゃないの幸せならば」による反撃を回避しようとする意図が含まれているといってよいでしょう。ただし、その場合、ただちに「対象化」することでどのような認識利得が得られるのかという問いが発せられることになるでしょう。この問いかけに、フーコーの手のひらを脱出してこの世界の真実をもって応えることは容易なことではないでしょう。そして、それができない限り、再び「いいじゃないの幸せならば」に飲み込まれるかフーコーの二番煎じになってしまうでしょう。

著書はこの困難をどのように克服しようとしているのでしょうか。検討してみたいと思います。

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