2010年9月1日水曜日

小文掲載について

『病院の世紀の理論』の上梓に際して、有斐閣から依頼されていました小文が以下の通り刊行されましたのでご報告いたします。

猪飼周平「『病院の世紀の理論』から地域包括ケアの社会理論へ」『書斎の窓』2010年9月号(No.597)pp.45-51,有斐閣

本文で、地域包括ケアのアナロジーとして、「誤解をおそれずに」サッカーなどのゾーンディフェンスのイメージを提示したのですが、述べようとしている中身の正否はともかく、現実に競技スポーツの世界で使われている複雑なディフェンス戦術を知るスポーツ関係者の方々からは、私がゾーンディフェンスに対してあまりに単純な解釈をしていると、お叱りを頂いているところです。

にもかかわらず、あえて恥の上塗りの弁解をしますと、私が地域包括ケアシステムをゾーンディフェンスになぞらえたのは、1つには、それが、機能的に重複するいくつもの主体が1人のケアに関わるシステムとなるためです。どこかでディフェンスが破られると、それまで他の機能を果たしていた主体が、機能を代替する。このようなあり方は、従来の行政的手法の延長線上に構築されるものではありません。むしろ、行政的には無駄な重複、あるいは主体の目標の不明確を示すものとして排除の対象となるものといえるでしょう。

地域包括ケアの祖型とみなされているものの中には、ぜんまい時計のような明確な機能分業に基づくメカニズムを指向するものがあります。ニーズの多様性が小さい状況ではこれでも機能しますが、ニーズの多様性が大きくなると機能しなくなる可能性が高まると考えられます。私のいう病院の世紀の終焉とは、クライアントのニーズが生活ニーズに寄ってゆくことによって多様化してゆく事態を含意していますので、私の歴史理解が正しければ、地域包括ケアシステムの形成に際しては、明確な機能分業に基づくメカニズムの役割は相対的に小さくなることになります。そして、そのようなシステムを支える行政にも、従来とは相当に異なる社会サービスへの関わり方が求められることになります。

もっとも、まだまだ生煮えの議論ですので、もう少し実例や行政学の諸文献にあたりながら、考えを進めてゆきたいと思います。

なお、本稿の草稿については以下でお読み頂くことができます。
http://ikai.soc.hit-u.ac.jp/10/shosai_no_mado.pdf
(あまりそういうことはないかと思いますが、もしご引用される場合は上記雑誌からお願いいたします)

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