2010年10月16日土曜日

外国からの制度移植の限界について

上川病院理事長の吉岡充さんにお会いする機会がありました。拘束外し問題、療養病床の存続問題、施設ケアの未来等議論は多岐にわたりましたが、その中で吉岡さんがいわれた「高齢者の取り扱いで欧州から学ぶべき点はもうあまりない」という発言は大変興味深いものでした。補足しておきますと、日本の高齢者医療・福祉にとって欧州から学ぶべきことがないという趣旨というよりは、日本にもってきて簡単に移植することができるような都合のよい制度上の発見を、欧州諸国の事例に見出すことは難しくなっているという趣旨だったと、私は理解しています。

諸外国の事例に倣って制度設計するということは、政策上の常套手段にすぎません。実際、先行事例があるのであれば、それを分析するのは当然であり、そこから様々なアイデアを拝借することも制度導入のリスクを軽減する上で有効であることはたしかです。そのこと自体が問題ではありません。むしろ問題はそのような政策手段をめぐる環境の変化に関するものです。すなわち、高齢者医療・福祉の領域において先行事例から学習することができない、いいかえると日本社会自身が先行事例とならなければならない状況が強まってきているのではないかということです。それは、日本社会が諸外国を模倣することができず、また放置することもできない課題の重要性が増しつつあるのではないか、といいかえることもできます。

日本が超高齢社会を潤沢な移民の流入なしにいかに乗り切ることができるかといった課題は、その典型でしょう。おそらく日本は、この問題を最初に解決しなければならない社会になると思われます。現在フィリピンやインドネシアからのケアワーカーの導入が制限的に行われていますが、将来規制を大幅緩和しても、彼らが日本に来てくれる保証はありません。長期的には、日本とアジア各国との間の経済格差は縮まる方向に進むと同時に、他のアジア各国でも高齢化が急速に進展してゆくからです。長期的にはケアワーカーの日本へのプッシュ圧力は(現在でも大したことありませんが)一層弱まることが予想されます。とすれば、日本社会が豊かさを維持しながら超高齢社会に対抗するためには、医療・介護サービスの労働集約的性格を緩和する技術革新が必須ということになります。この日本に課せられた条件は、欧米諸国におけるそれとは全く異なるものであり、日本社会は独自の解決策を求めなければなりません。

もし、日本社会が解決策を見出すことに成功すれば、それは日本に続いて移民抜きで高齢化する多くの国々に対する偉大な貢献ということになると同時に、そこにはビジネスチャンスも開かれるでしょう。その意味では、日本独自の課題に積極的に取り組むことは、日本社会・日本経済に新たな可能性を開くものでもあります。

このような可能性を獲りに行く政治・行政とはどのようなものであるべきでしょうか。従来の日本の政治・行政はこのような課題への対応に必要な大きな戦略の立案を苦手としてきたといえるでしょう。「政治主導」はこのような状況を克服することを目指していたはずですが、今のところうまくいってはいないようです。とはいえ、この問題は民主党に責任を負わせれば済む話ではありません。最終的にはその責任を日本社会が全体として負うことになるわけですから。

2 件のコメント:

  1. 介護保険発足当時に想定された介護者の像は「40〜50代の専業主婦」だったのですが、現在、男性介護者が急増していて、さまざまな問題が起きて来ています
    これに対し、日本福祉大学の湯原悦子さんなどが中心になって、イギリスの介護者法にならった「介護者支援」の法律の制定を目指す動きがあるのですが、介護保険でないイギリスの制度をそのまま移植することにはムリがありそうです。
    とはいえ、介護者の支援は何らかのかたちで必要です。家族という狭い範囲に介護の責任を押し付けるべきではないです。

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  2. so-shiroさんのコメントを拝見して、はじめてコメントします。
    地域包括ケアに従事するものにとって「病院の世紀の理論」は必読書です。

    さて、男性介護者の問題は、地域、コミュニティにおける、男性の役割を問い直す機会であると、とらえることもできるでしょう。孤舟族の予備軍のような男性ばかりではなく、「生きる意味」を考え「肩の荷をおろして生きる」男性が増えても良いのではないでしょうか。

    「医療・介護サービスの労働集約的性格を緩和する技術革新が必須」であるとともに、労働集約的性格を緩和するための「イノベーション」を創造、創発しうる「マネジメント」も必要ではないでしょうか。
    在宅での申し送りノートに代わる、電子カルテのような「生活ログ」=「ケア・ノート」といった技術革新は大いに期待されますが、同時に、そこで絡んだ人々、市民のネットワークに、何らかの「イノベーション」を引き出すような「マネジメント」が、必要なのではないでしょうか。

    このイノベーションの実体は、家族的な「何か」であるものの、家族以外から提供されることになる「何か」でしょう。今後、この「何か」を社会全体で考え、規定していくことになろうかと思います。

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