2011年1月27日木曜日

わかりやすく説明すること

来たる2月13日に、30年後の医療の姿を考える会主催のシンポジウムの基調講演に招待されました。

同会は、訪問看護師の秋山正子さんやを中心として在宅ケアやターミナルケアに関わる、主に実践家・行政関係者・ジャーナリストからなる会で、会が結成された2007年以来毎年聖路加看護大学でシンポジウムを重ねてきています。本年は、医療や介護が必要になっても地域に暮らし続けることができるような「住まい方」を主なテーマとしてパネルディスカッションが行われるとのことです。昨年末に忘年会に招待された際に、不肖私に基調講演をと依頼されました。私の講演はともかく、予約不要・入場無料とのことですので、ご関心のある方には当日会場までお運び頂ければ幸いです。

30年後の医療の姿を考える会/第5回市民公開シンポジウム

その際、秋山さんに「わかりやすくお話しください」と念を押されました。私は「がんばります」と返答しましたが、「わかりやすく話す」とはどのように話すことでしょうか。

別件ですが、構想日本の西田陽光さんに、同団体が折々に配信しているメルマガ向けの1月27日(本日)配信予定のメルマガ向けの短文の原稿を依頼されました。私なりに書いてお送りしたところ、一般の方に読んで頂くには文章が硬すぎるとのことで、完成まで相当に手を入れて頂く羽目に陥りました。「苦心作」を下に掲載しておきましたので、よろしければご覧頂ければと思います。

それにしても、わかりやすく説明するとはどのようなことなのでしょうか。このことをわかりにくくて結構ですのでご説明できる方がいらっしゃれば御指南いただければ幸いです。

本を出版して以降、いろいろな方と出会いましたが、実践家にせよ、ジャーナリストにせよ、官僚にせよ、みなわかりやすい説明を欲しているようです。といいますか、世の中的にはわかりやすい説明の方がよいことはどう考えても当たり前です。そのことを、驚きをもって「発見」してしまうこと自体、私が学者馬鹿に属していることを示しているといえましょう。

学者の世界では、論文などの文章に対して、一義的にはわかりやすさではなく、むしろそれを犠牲にしてでも、正確さ、議論の周到さ、論理の正しさが求められます。1つのことを言うのでも、少しでも言い方を間違えると、簡単に論理的に破綻したりしてしまうので、慎重に慎重に言葉を積み上げます(それでも校正の際に多くのテニオハレベルのミスを発見して愕然としたりしますが)。それはあたかも地雷原を縫うように進んでいくようなものです。このとき、そこが地雷原であるという状況を捨象して、進んだ経路だけをみると、文や段落が不必要な蛇行をし、いかにも回りくどく議論しているようにみえることになります。最近、ある披露宴で、乾杯前に新郎の指導教授2名が合計90分も「祝辞」を述べたという話を聞きました。気をつけていないと自分もやってしまう可能性があるという意味では、笑い話では済みません。

かくして、私にとって来たる2月13日は、一大挑戦の日になりました。「病院の世紀の理論をわかりやすく話すことに成功したことがないので、外そうか」「いやそうすると、私の主張がそもそもどのような根拠に裏づけられているか示せないぞ」などと葛藤中です。有意義な議論をお聴きになりたい方は、パネルディスカッションをお楽しみに、意地悪い方は、当日の私の苦闘をお楽しみにして頂ければと思います。

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         J.I.メールニュースNo.487 2011.01.27発行
 
      ヘルスケアの長期展望とアカデミズムの役割

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【1】 ヘルスケアの長期展望とアカデミズムの役割

               一橋大学院社会学研究科准教授 猪飼周平   
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「30年後の医療の姿を考える会」という名前の会がある。訪問看護師の秋山正子氏を中心に、在宅医療・福祉やターミナルケアといった分野で先駆的に取り組む医師・看護師・ジャーナリストなどが、2007年に結成した団体だ。

この会の忘年会に招かれて意見交換をしたのだが、聞けば、会の名前にある30年後とは、結成年から29年後、28年後、・・・と近づくのではなく、いつでもその時点から30年後の医療の姿を考えることだという。

ここで考えてみたいのは、政策にとって30年がどんな期間かということだ。少なくとも戦後日本のヘルスケア政策で、30年を視野に入れた政策を考えたことはないだろう。これまで、日本の政党に30年後のヘルスケアを見越した戦略はおそらくなかった。その意味では日本の政治・行政の思考にとっての30年後とは、常に範囲外だったといえる。

実は、ヘルスケアの変化にとって30年は決して長い時間ではない。例えば、今からある種の医師養成を決定して医学部を卒業するまで6年、その後1人前になるまでにおよそ10年かかる。そして、この種の医師が臨床の中核を担うには、
さらに10年は必要だ。あっという間に30年近くまで来てしまう。このため、「30年後の医療の姿」を理解できれば、政策的にも大変重要な意味をもつだろう。

問題は、誰がいかにそのような知識を生み出し、保持するかだ。可能なのはアカデミズム以外にない。消極的な理由としては、このような知識に関心を持ちつづけることのできる主体が他にはないためだが、より積極的な理由としては、アカデミズムには、そのような長期の展望的知識を生み出すことができるからだ。

20世紀の医療を全体として「病院の世紀」という概念で捉えることによって、ヘルスケアの構造が世紀単位で変動すること、さらに現在がおよそ1世紀ぶりの変動期にあることを、フィールドワークや歴史史料の分析を通じてまとめ、昨年
『病院の世紀の理論』として出版した。アカデミズムがヘルスケアに関する長期展望的知識を生み出し、保持することができるかどうかに関心をもって、お読み頂ければと思う。

私なりにではあるが、今後ともアカデミズムの政策学としての可能性を広げてゆく努力をしたい。臨床や政策の現場の方には、そのようなアカデミズムの役割に期待をしていただきたいと願う。

構想日本JIメールニュース

1 件のコメント:

  1. 構想日本の文章は(さすが西田さんの眼が入って)読みやすくなっていすろと思います。
    2月13日は豪華メンバーですし、パネルディスカッションのコメンテーターを猪飼さんが務めると聴けば是非行きたいのですが、『通史 日本の科学と技術 世紀転換編』(原書房より今年の秋から順次刊行予定)の編集会議と重なってしまい、行けません。。。。
    残念です。

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