4月14日から17日にかけて、宮城県南三陸町において、子どもに絵本・児童書・紙芝居を届ける活動を行いました。以下はその活動報告です。私たちは、メディアその他の情報から、現在被災地においては子どもとりわけ未就学児童に対する顧慮が後回しになっているのではないかという仮説をもって現地に入りました。そして、少なくとも南三陸町においては仮説通りの状況が生じていることがわかりました。
他の地域においても自宅避難者問題が取り沙汰されていることからわかるように、避難所を介した物資分配システムは避難者にとって非常に重要な命綱である一方で、それが果たしうる役割には一定の限界があると思われます。とくに避難所に居づらいために親類宅などに身を寄せている母子のニーズなどは、避難所からは見出しにくいものの最たるものといえます。このような場合、行政による情報把握と、外部からの専門的支援とを組み合わせることが非常に重要ではないかと思います。
子ども、障害者(児)、認知症高齢者などの方々への支援を考えておられる方にとっては、この度の私たちの経験・観察が少しは参考になるかもしれません。
また最後になりましたが、この度のプロジェクトに際しては、実に様々な方のご支援を頂きました。この場を借りて心より御礼申し上げます。
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【被災地の子どもたちに絵本を届けよう】報告書
猪飼周平(一橋大学准教授)
綾宏次朗(一橋大学チーム・えんのした代表)
公式ウェブサイト:http://ikai.soc.hit-u.ac.jp/ehon_shien.htm
1.目的
本企画は次の2つの目的に基づいて実施された。第1に、絵本・児童書・紙芝居などを配布することを通じて南三陸町の子どもの支援を行うことである。第2に、南三陸町の子どもの避難状況を把握することを通じて、同町の子どもの置かれている状況の改善に結びつけることである。
2.活動の概要
絵本・児童書・紙芝居については、3月31日付けで、一橋大学教職員・学生向けに、電子メールでの募集に加え、ツイッター、ミクシィなどのソーシャルメディアを介して支援を呼びかけた。支援の呼びかけおよび絵本の集積・仕分けといった作業の多くは、書籍リサイクルを行う学生サークル<一橋大学チーム・えんのした>が担当した。また、本企画の存在は読売新聞(多摩版)において紹介されたこと、ミクシィでの周知によって一般市民にも伝わった。
結果、締切日である4月13日までに、当初目標600冊を大幅に超える4000冊程度の絵本・児童書・紙芝居を預かることができた。この間主に南三陸町に関する情報の収集に努め、伊里前小学校長、戸倉小学校長、志津川・戸倉保育所長と繋がることができた。
物資については、ハイエース1台で運ぶことが不可能となったために、児童書類を中心におよそ1000冊をヤマト運輸の南三陸営業所宛で発送することにした。ハイエースに積む絵本については、0-2才児向けのものについては1セット10冊ごとに、3-5才児向けのものについては1セット15冊ごとにリボンで括り、手紙を付した。0-2才児向けセットについては48セット、3-5才児向けについては63セット用意した。残りの絵本・児童書については、ひとまず一橋大学で保管することとした。
本企画の情報収集段階において、被災地の子どもの置かれている状況に関するメディア情報がきわめて少ないこと、メディアが報ずる避難所の光景に子どもがごく少ないこと、避難所からリクエストされる物資に子ども向けのものがほとんどないことなどが気づかれた。それらの情報を総合すると、子どもとその保護者が、避難所を遠慮して域内や域外の身寄りにおいて孤立状態に置かれている可能性が示唆された。
そこで、絵本・児童書・紙芝居の支援に際しては、可能な限り、避難所などの物資の集積点に絵本を置くのではなく、家庭訪問等によって絵本を直接手渡すこととした。また、あわせて、域内外に子どもが避難しているために、子どもや子どもを抱える親のニーズが支援に結びつかない可能性を検証することとした。
現地入りしたのは、猪飼(大学教員)・綾(学生)・渡辺(学生)・相川(保育士)・土井(保育士)の5名。東京では一橋大学チーム・えんのしたの部員が待機した。現地では、1)小学校長・保育所長の情報、2)地域の未就学児童の居場所を知る顔役からの情報、3)子どもをもつ親からの情報を活用して、個別訪問を軸に絵本を配布した。その詳細については、付録タイムラインを参照されたい。
3.分析・結果
1) 避難所には未就学児童は少ない
訪問した避難所に避難していた未就学児童はごく少数であった。この点は、避難所関係者・学校関係者・保育所関係者への聞き取りから、町の避難所全体に当てはまると考えられる。他方、平磯・荒砥・志津川・戸倉(登米市避難所)・名足・入谷地区を巡回した結果、未就学児童は避難所外の住宅(親類の家など)に多く存在していることが判明した。これは、保護者によれば、避難所では他の避難者への遠慮や、避難者からの苦情のためにやむを得ない対応であったという。ある保護者によれば、避難所では子どもに怒鳴る大人や子どもを殴る大人があるという。また、町民の1人の説明では、避難した親類等も最初は受け入れてくれるが、そのうち迷惑に感ずるようになることが多いことから、親子はその都度退去せざるを得ず、結果として「避難難民」化する場合があるという。
2)未就学児童およびその保護者は強いストレス下にある
上述の現状の結果として、現在住宅に避難する未就学児童家庭も避難所に残る未就学児道家庭も、強いストレス下にあることが認められる。一見普通にみえる児童であっても、保護者の証言によれば、普段とは異なる挙動(泣きやまない、甘える、怖がる、黙るなど)がみられるという。また、親を困らせるような甘え方をしたり、呼びかけに対する返事を拒否するなど、ストレスによる影響が明らかな子どもも散見された。また、そのような子どもの親も、子どもの要求を受けとめることができない場合が多いために、被災による疲労と相俟って、高いストレス下に置かれていると思われた。今後同町では保健師による各戸訪問が開始されることから、訪問に際しては、子どもと保護者の精神衛生状態を正確に把握することが期待される。
3)未就学児童およびその保護者のニーズが避難所に反映されていない
親類宅等に避難する未就学児童をもつ家庭には、物資は一定程度届いているが、これらの家庭固有のニーズには対応できていない。これは、第1に、避難所が、大人の避難者のニーズに対応することで精一杯の状況にあるために、住宅に避難する未就学児童を考慮することに限界があるためであると考えられる。むしろ、オムツ・ミルクなどが避難所に余っているために、避難所の運営者(特に男性)は、地区に未就学児童のニーズは限られていると判断しがちであるように見受けられる。第2に、これらの家庭固有のニーズは、物資だけでなく児童と保護者に対するケアというソフト面で主に存在しているために、そもそも物資の配分システムとしての性格の強い現在の避難所の運営システムではそれを汲み取ることが難しい面もあると考えられる。
4)保育士が避難所運営に動員されているために子どものニーズを把握できない
南三陸町では保育士の大部分が町職員であるが、その全員が保育から離れ避難所運営を命ぜられているために、保育士が避難する園児やその保護者のニーズを把握することができない状況に置かれている。役場職員の過半が失われた同町においては一時的にはこのような措置はやむを得ないといえる。また多くの保育士も被災していることから、そもそも彼女らに多くを求めることは難しい。とすれば、外部からの支援を借りて子どものニーズを把握し、ケアする方法を構築する必要がある。
5)町の人口減を加速する懸念がある
未就学児童および保護者へのケアが欠けていることは、南三陸町の復興過程において、若い世代が町から流出する可能性を高めている可能性がある。未就学児童の保護者の世代は、同町における生産活動の中核である。したがって、同町の復興という観点からみても、状況の改善が必要であると考えられる。
以上の分析に基づき、本グループは4月16日付けで佐藤仁南三陸町長に以下の提案を行った。
1)保育士を優先的に未就学児童の状況確認に充当する
避難所規模の縮小に併せて、保育士の業務を現在の避難所での業務から、各保育士が担当する保育所の子供達の安否確認や心のケアに変更する。さしあたり、町立保育所ごとに1名(志津川2名)計6名をこの任にあたらせる。
2)町外からの保育士ボランティアの受け入れ窓口を開設する。
現在のボランティアセンターでの登録制度はソフト面での活動に対応する制度になっていない。そこでこの際、専用の受け入れ窓口を開設し、町の保育士の活動によって得られた情報に基づいて未就学児童および保護者のケアにあたってもらうように対応する。
4月22日現在、同町の保育士を避難所業務から保育業務へ転換する措置は採られていないが、保育所の再開を目指す活動の一環として、保育士による電話での保育所在籍児童の状況把握が始まっている。ただし、同町では0-2才児については、保育園に預けないことが一般的であることから、保健師その他による状況把握が別途必要な状況であるといえる。
注記)2011.5.1
なお、上の記述は、避難所やボランティアセンターの意義を否定しようとするものではありません。特に避難所の方々は被災の苦しみを抱えながら精一杯の活動をされています。その意味では、本報告は、避難所やVCが果たしている機能を補完するために、外部から人材を導入する方策に関するものです。
付録 タイムライン
4月8、11、12、13日
集まった絵本・児童書・紙芝居等を仕分けする。当初目標を600冊としていたが、予想をはるかに超える約4000冊が集まった。おもに<えんのした>部員と猪飼ゼミ所属学生によって仕分けが行われる。
4月13日
20:00 国立発
4月14日
8:00 ホテル観洋着。付属する託児所マリンパルの一室に案内される。三浦保育士から同託児所の子どもの状況や町の子どもの情報を聞く。託児所で使う絵本がなくなったとのことなので、至急東京<えんのした>に絵本送付を依頼。15日着。
9:20 志津川中。NHK、MBS(毎日系)が取材中。受付で避難所の未就学児童の様子を聞く。小学生が2人のみとの返答。受付者は町の保育士。
10:50 志津川保育所。志津川保育所主任の三浦保育士と出会う。子どもたちは避難訓練の時と同じ行動を取ることができたのは幸いだった。1才児も山を越えたという。戸倉保育所壊滅とのこと。
11:00 志津川小。志津川・戸倉保育所長佐藤盛子保育士と面会。戸倉保育所で保育士と一緒に逃げた子どもは全員助かったが、帰った子どものうち3人が犠牲に。子どもたちは、地震に対する恐怖が抜けず、夜になると泣くという。ごく一部の子どもは避難所にいるが、親類を頼っていく人が多いという。荒町は被害がなかったので、このあたりの親類に身を寄せている子どももあるのではないかと話す。佐藤所長から、気になる子どもを個別に挙げてもらう。話に加わった保育士の1人は、この非常事態に「保育」とは何かを考えるという。子どもは母親と一緒にいるのが最善で、最小の保育でよいのではないか。保育所だけ先走りするよりも、避難所業務に専念することが重要という見解を示す。これに対し、佐藤所長は、ケアの必要な子どももいる旨発言。
12:30 ベイサイドアリーナ。入口に雑然と絵本あり。小さな子どもの姿はみられない。受付のボランティアが避難所の運営にあたる保育士に繋いでくれようとしたが、保育士は関心を示さず。避難所の運営で手一杯の模様。体育館は物資倉庫になっており、避難者は廊下で寝泊まりしている。炊き出しなどが頻繁に行われ、また各種本部も近隣に設置されていることから、落ち着かない場所となっている。
13:30ボランティアの1人からボランティアセンターに登録するよう勧められ登録しようとするも、戸別訪問を含む活動は困る、絵本は物資倉庫に入れよといわれる。ベイサイドアリーナの物資管理に問題があることは多くの現地レポートによって指摘されている。おそらく、絵本を物資倉庫に入れると当分活用されないことになると思われる。それは今回の支援の主旨に反するので、ボランティア登録をあきらめることにする。
13:40 平磯生活センター。センター運営に関わる女性(小学校職員)に案内されて、近隣の子ども宅を回る。佐藤所長から気になる子どもと言われていた2人の子どもを訪れる。子ども達は父親を失っている。母親はこれからどうしてよいか考えられないと話す。子ども達はランドセルやピアニカなどの他たからのプレゼントを見せてくれる。必要なものは単なるモノのとしての絵本ではなく、絵本を通じたケアであると理解。避難所となっている特養ハイムメアーズに2人子どもがいるとのことで絵本を配る。その後、荒砥保育園・避難所へ。同日中に0-2才向け5セット、3-5才向け20セットを配る。荒砥の避難所では最初絵本配布と聞いて怪訝な顔をされたが、絵本を渡すごとに子どもが喜ぶ姿をみて、監視のために付き添った男性も思うところがあった模様。女の子に絵本を配ったとき、男性は「この子は家の全部が流されて、海の方ばかりみている」と切なそうに話す。
18:00頃 観洋泊。
4月14日に配布した絵本の数
0-2才向け:50冊(10冊を1セットとして5セット)
3-5才向け:390冊(15冊を1セットとして26セット)
4月15日
8:00 観洋を出発し、ベイサイドアリーナ近くにあるヤマト運輸営業所へ。伊里前小に設置する文庫の積み込み。
9:15 伊里前小。兵藤校長に挨拶し、体育館に児童書・絵本を運ぶ。菅野寿子教頭は、「小さい子どもの物資がないので絵本は喜ばれる」と話す。
10:45 ヤマト運輸で今度は戸倉小用の児童書を積む。電気が戻っていた。
11:00 仮庁舎。災害対策本部で佐藤町長に翌日のアポイントメントとる。
12:15 登米市旧善王寺小学校(麻生川敦校長)。戸倉小学校が一時的に移転する。1年から6年まで計6クラス分の学級文庫を納入する。校長にこういうものが欲しかったと喜ばれる。現地で出会った東京新聞の記者(如水会員)と意見交換する。
14:20 南三陸町から多く避難する登米市柳津若者総合体育館にて、マリンパル三浦保育士が気になると言っていた母子に会い、絵本を渡す。同避難所の他の子どもに数セット絵本を配るとともに、避難所の菅原保育士に絵本を託す。保育士2人が、甘えたり叫んだりするダイちゃんと遊ぶ。時間が経つにつれ元気になる。
16:20 荒町ふれあいセンター。避難所にいた女性達によれば、日曜日に子どもが来るとのこと(関西広域連合の活動と思われる)。0-2才向け5セット、3-5才向け5セットを託す。
16:50 大雄寺。同寺はあさひ幼稚園の経営母体。子どもいない。住職と話す。日本ユニセフ協会と仮設幼稚園を開設することで話がついていることを聞く(翌日町長にも確認)。
17:15 保呂毛地区でマリンパル三浦保育士が気になると言っていた別の母子に絵本を渡す。母子共に玄関口に出ており待っていたようにみえた。母親は子どもを保育園に預けて仕事をしたい旨話す。近隣にも子どもあり絵本を配布する。
4月15日に配布した絵本の数
0-2才向け:120冊(10冊を1セットとして12セット)
3-5才向け:180冊(15冊を1セットとして12セット)
児童書(伊里前小に納入):120冊(段ボール4箱分)
児童書(善王寺小に納入):約540冊(段ボール18箱分)
マリンパルに14日に東京から送付した絵本:約210冊(段ボール7箱分)
4月16日
8:15 観洋発。
9:20 名足保育所。絵本を5セット配布。その後保育所に集まっていた女の子数人に案内されて、子どものいる家庭を回る。海岸線で年配の女性と話す。「6mの津波という放送だったので安心した家があった」「隣は何か大切なものを取りに戻ったために津波にさらわれてしまった」「かなり内陸の方でおじいさんと小さい子どもが手を繋いでみつかった」。孫ありとのことで女性に絵本を渡す。馬場中山生活センター付近の民家(1階部分が破壊)で腹立たしげに掃除をし続ける4才くらいの男の子に絵本をわたす。声をかけても返事ないが、「絵本をよんでくれる?」という呼びかけにだけは頷く。その後名足保育所で、子ども達とドッジボール。相川・土井両保育士が「夢わかば」を歌う。子どもだけでなく、避難している大人も耳を傾けていた様子。
13:00 佐藤仁町長と面会。未就学児童への対応を申し入れる。町長は「関西広域連合に子どものケアは委せてある」と話すが、同町の保育士が町外からのボランティア保育士を活用しながら子どものケアに関わることのメリットを話す。
13:40 志津川小。志津川保育所主任三浦保育士と話す。「子どものケアに行けと言われれば是非行きたい」
14:50 戸倉海洋青年の家。別団体主催のイベントに子ども多数。バスをチャーターして近隣から子どもを集めた模様。コーディネーターに帰り際にでも子どもたちに絵本をもたせたいと持ちかけたが断られる。少し粘ってみたが埒が明かないので断念。子どものためではなく、イベントをそつなくこなすことに主な関心が向いているボランティアコーディネーターが存在することは残念。
16:00 入谷小学校→入谷地区公民館。大正大学グループと遭遇。未就学児はいないとのこと。公民館職員芳賀勝清氏の案内で、地域の子どものいる家庭を回る。弁当屋の子どもに絵本を渡すと、お礼におにぎりをもらう。入谷幼児園の園長宅を訪ねる。同園の子どもたちへのプレゼントとして3-5才向け8セット、0-2才向け3セットを託す。3-5才向け絵本をすべて配り終える。
18:00 観洋泊。夜、慰問に訪れたサックス奏者に誘われてミニコンサートに参加。相川・土井両保育士「夢わかば」歌う。
4月16日に配布した絵本の数
0-2才向け:120冊(12セット)
3-5才向け:375冊(25セット)
4月17日
8:00 仮庁舎。佐藤総務課長に、山梨県に被災地のために桜の苗を育てている農家があることを伝える。「場所が決められないのでまだ考えられない」とのこと。その後最知保健福祉課長に、昨日町長に申し入れた内容を話して念を押す。
9:00 志津川小。佐藤所長に挨拶。体育館出口まで見送りに出てこられる。
11:40 仙台10-BOX。八巻氏(10-BOX)、横田氏(こどもとあゆむネットワーク代表)と懇談。横田氏によれば、公立図書館の復興まで面倒をみるとのこと。基本的な考え方で意見が一致したことから、残った絵本を10-BOXに託すとともに、一橋大学に残してきた絵本の配布を以後10-BOXに委ねることで話がまとまる。
4月16日に配布した絵本の数
0-2才向け:190冊(19セット、10-BOXに委託)
20:40 国立着。
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南三陸町の子どもに絵本を届けるプロジェクト報告(2)保育実践報告
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