出題文は次からの抜粋です。
猪飼周平「『病院の世紀の理論』から地域包括ケアの社会理論へ」『書斎の窓』(2010.8)
ここでは著者(文章が書かれた背景を一応理解している者)として、以下の問題を検討してみたいと思います。
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問1
傍線部(1)「次代のヘルスケアシステムが包括性によって特徴づけられる」(注原文p.47上段20行目)とあるが、その理由として最も適切なものを、次の①~④の中から1つ選べ。
①健康のために病気の治療が最優先された20世紀とは異なり、健康な生活のためにはたんに病気でないだけでは満足できなくなったから。------------------
②ほとんどの病気が医学によって治療可能であると考えられていた20世紀とは異なり、多くの新しい治療不可能な病気が生じて医療のみでは対処できなくなったから。
③人びとの健康に関してもっぱら医療が役割を担っていた20世紀とは異なり、生活の質の向上のために保健や福祉の役割も期待されるようになってきたから。
④一般の人々の健康を医療が守ってきた20世紀とは異なり、医療技術が高度になりすぎて通常の病気の治療は保健や福祉の役割と見なされるようになってきたから。
さて、
①は内容的には踏み込んだ言及のない文ですが、それゆえに間違いとはいえません。
②は微妙です。事実からいえば、治療不可能な病気の存在それ自体は、地域包括ケア化の十分条件ではありません。言い換えると治療不可能な病気が存在していても、「医学モデル」の優越が続く可能性はあるということです。本文ではそのことを理解しつつ書いてはいたのですが、この点について注釈を入れる紙幅をケチったために、本文では「必ずしも間違いではない」という逃げた文章になってしまっています。結果として、治療不可能な病気が地域包括ケア化の十分条件であるようにミスリードされています。これを読まされた受験生には謝りたいです。『病院の世紀の理論』第6章や「地域包括ケアの社会理論への課題」で書いたことが言いたかったことです。今からでも正確な知識を元(?)受験生たちにお伝えしたい。・・・という著者の問題を考慮に入れると、これを選んだ受験生に私は×をつけられません。
③この文をよく見ると文の前段と後段とがかみ合っていません。前段は「健康」について、後段は「生活の質」について述べた変な文です。実は、病院の世紀の終焉の過程で、「健康」という概念は、生活の質(QOL)の一側面に位置づけられ、「医学的な意味で病気でないこと」から「生活の質への貢献という観点から評価される心身の状態」へと意味の転換が進むことになります。この点を踏まえると、前段と後段の不整合は本文で行っていればそれほど不都合ではないかもしれません。ところが、実は、「健康」と「生活の質」との関係が本文中では厳密に定義されていないのです!このため、③は内容的には間違っていないのですが、日本語として変な文になってしまいました。・・・そういうことで、これも著者の過失を考慮に入れると×をつけられません。むしろ、本文の混乱を正確に表現した文として、国語的には③を苦渋の○にせざるをえません。
④いくら何でもこれには×をつけたいところですが、実は、医療技術→医療の高額化→医療の保健・福祉シフトというのはここ四半世紀の厚生行政の方向性です。もちろん、国語的には×(本文ではそういうことは言っていない)なのですが、政策史的観点からみると、実際このような観点から政策が推進されてきたことは確かで、いまでもこの筋で論ずる人が多いのも事実です。その意味では×にしてしまうのもかわいそうな気もします。
著者による正解: 全部正解(選択不能)、もしくは苦渋の選択として③
結論1。私の文章は、国語の問題文として採用されるには未熟である。
結論2。この問題文を作った方は、子どもの頃からいじめっ子だったと思われる。
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