2012年12月9日日曜日

復興の時間

最近のことですが、フリージャズギタリストの大友良英さんが『シャッター商店街と線量計』(青土社)という本を出されました。この本の中に「復興の時間」というタイトルの文章を寄稿しました。以下は、その内容です。例によって非常に長いので、pdfでご覧になるのもよいかもしれません。

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復興の時間
福島の未来のために考えておくべきことについて
pdf版

1. はじめに

私は日頃、東京の大学で、研究をしたり、学生相手に授業をしたりしている者です。原発に関して専門的知識があるわけでもなく、福島ともこれまで特に深いつながりがあったわけでもありません。昨年7月に福島市で除染の実証実験が行われた際に、ボランティアとして草むしりに参加したのが縁で、以降細々と福島に関わるようになりましたが、特に華々しい活動をしてきたわけでもありません。この小文をお読みの方には、福島の現状に対して役立ちたいという気持ちをもちながらも、とくに何をするでもなく日々を過ごしてきた「ヨソ者」の1人が書いている、とご認識いただければよいかと思います。

そんな私が、図々しくも他の方々を差し置いて本書に小文を書くに至ったのは、直接的にはもちろん大友さんに書けと言われたからですが、経緯から申しますと、今年1月末ブログに「原発震災に対する支援とは何か 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理」という記事を掲載したことが起こした波紋の結果でしょう。私の文章は、既存の情報を整合的に整理すれば、より建設的な議論ができるということを書いたものでした。当時は、そのような冷静な議論が論壇に少なかったこともあったのでしょう、多少の注目を浴びる結果になったわけです。

現状でも、当時の状況に比べて大きく事態が改善されてはいません。除染は遅れ、住民は放射線に対する不安を抱き続けている。その意味では、福島において災害は今でも続く現実であるといえます。この被災の現実をどのように考えればよいのか、この問題に関心のある方にとっては、上に示した文章が今でも少しは役立つかもしれません。

ただ、今回はそこで書いたこととは違う問題について、私の考えていることを述べてみたいと思っています。それは、福島の復興についてです。というのも、今日の福島にとって最も深刻な問題の一つが、復興を手応えのある目標として考えることが難しい、ということではないかと思うからです。これは、福島では災害が継続していることに加え、放射性物質を福島から除去するということについて目処が立たないということがあるからにほかなりません。このような状況が続けば多くの人は、「やっぱり福島はダメだ」と思うようになり、そのような絶望感が蔓延することで福島の復興は一層難しくなります。

現在も福島は被災のただ中にあり、何よりも急がれるのは、被災者の安全の確保と生活の安定です。ただ、私にはそれとともに、福島の人びとの間に絶望感が蔓延する前に、復興の問題について考え始めることには意味があるように思っています。そこで、この小文では、多分に僭越ながら、福島の復興について私の考えを述べてみたいと思います。

なお、この小文は、復興は福島の人びと自身で行わなければならないという前提に立っています(その理由については最後までお読み頂ければご了解いただけると思います)。そのため文章は、基本的に福島の人びとにとって何ができるかという観点から書かれています。域外の方でこの文章をお読みの方には、どのようにして福島の人びと自身の活動を応援できるかという観点からお読み頂ければと思います。


2. 時間が可能にすること

原発震災を福島が乗り越えるための最重要課題は何でしょうか。おそらくほとんどの人が「放射性物質を福島から取り除くこと」と答えるのではないでしょうか。福島の場合、津波による深刻な被害もありましたが、全体としてみれば放射性物質さえなくなれば、とりあえず元の環境に「復旧」したということにはなるでしょう。

では、このような課題は解決可能でしょうか。多くの人びとは不可能だと感じています。一日も早くという人びとの思いとは裏腹に、状況が容易には改善しないことがあきらかになりつつあります。そして、そのことが現在の福島の人びとの焦燥感や絶望感の基本的な源泉になっているといえます。

私は、このような状況の中で、私たちが一つの動かない事実を忘れてしまいがちになっているように思います。それは、「福島の放射能汚染は必ず終わる」ということです。極端な話として、もし放射能汚染の終息を300年待つことができれば、ほぼ何もしなくとも原発の立地する場所の近傍以外については、自然環境的には元通りになります。もちろん、福島の人びとにとってそんな長い時間待たされることは考えられないとしても、このことは一つの復興戦略の可能性を示しています。すなわち、「できるだけ復興の照準を遠い将来に合わせる」という戦略です。

行政的な時間感覚でいえば、短期といえば1年以内、中期といえば5年以内を指し、通常政策といえば大体この短中期の政策がほとんどです。ところが、そのような時間感覚で原発震災をみますと、除染一つとってみてもとても5年では片付きません。5年という時間では、比較的線量の低い地域であっても、生活圏での被曝量を1mSv/yにするのが精一杯で、広範に汚染された森林や山を除染するということは全く考えることができません。これはひとまず住民に「気をつけていれば安全」という環境を確保することはできても、福島が放射能に汚染されているという状況を根本的に解決することはできません(もちろん住民の安全を確保する施策を急がなければならないことに疑問の余地はありませんが)。そもそも、線量のより高い地域には帰還そのものに5年以上かかるというところもあります。とすると、住民も行政も、有効な手立てがない、やっぱり福島はダメだ、と絶望してしまうことになってしまいます。

では、ここで与えられた時間を一気に10倍して50 年で考えたらどうでしょう。もし福島の復興に50年という時間をかけてよいのであれば、条件は大きく変わってきます。放射能レベルが自然に下がるだけでなく、放射性物質を効果的かつ安価に除去する技術の開発も期待できるでしょう。また広範な山地を除染するだけの時間も稼ぐことができます。また財政的にも50年に分けてお金を投入することならできるかもしれません。そして、もっと時間を延長すれば、原発震災それ自体の解決の可能性はさらに高まり、300年に延長すれば、何もする必要はなくなります。ここで私が何を確認したいかというと、問題を解決するために与えられた時間を伸ばすにしたがって、この原発震災という問題は解決可能性が高まってゆくということなのです。

何を悠長なことを言っているのか、と思われる方もあろうかと思います。当然です。というのも福島における被災の現実は今日の問題であり、できるものなら今日のうちに解決されなければならない問題だからです。ですから、今日できることがあれば今日やり、明日できることがあれば明日のうちにやらなければならない。長期的に復興できさえすればその他はどうでもよい、というのでは困ります。短期的にも中期的にもさまざまな施策や努力が必要なことはいうまでもありません。ここで申し上げているのは、目下行われている対策や努力のうちに、なされなくてもよいものがあるということではありません。むしろ、ここで申し上げたいのは、長期的に福島の被災地が復興してゆくためには、それだけでは十分ではない、ということです。

福島においては、長期的な被災が避けられない以上、生活再建に努力する人びとの心の中にも「このような営みを続けてどうなるのか」という疑念が日々湧いてくることが避けられません。その疑念は、復興への意欲を削ぎ、福島県外の人びとによる震災への意識の風化と相まって、福島全体を日本の中でも活力の低い土地にしようとするものです。このようなとき、もっとも重要なのは、何のために日々の努力があるのか、という問いに対する答えではないでしょうか。そして、そのような答えを可能にしてくれるのが、時間という要素なのです。


3. 時間を受け入れること
 
前節で提出した論点を別の言い方で言い直すと次のようになります。すなわち、「5年の間に放射性物質を除去するにはどうすればよいか」という課題と、「50年の間、人びとがそれを待てるようにするにはどうすればよいか」という課題ではどちらの方が解決が容易か、という論点です。前者が解決不可能であるのに対し、後者には現実的な解決が可能です。

論理的には、「50年」であることが重要なのではなく、現実的な解決策が見いだせるだけの時間が長期的なものだということが重要です。技術革新その他によって30年でよいかもしれません。いずれにせよ、短中期的な話ではないということです。そういうことを含めて、ここでは話をイメージしやすいようにするために、解決までに「50年」かかるということにして話を進めさせていただきます。

さて、復興までに50年かかるということを私たちは感覚として受け入れることは可能なのでしょうか。

1に、50年という時間は、人によっては実に遠い未来のような気がするかもしれません。それは自分自身と50年後のつながりがイメージできないためでしょう。ところが、50年後という時間は、実は非常にリアルな時間なのです。というのも、50年後の福島の街や村に生きるべき住民はすでに多くがこの世に生まれ、福島に暮らしているからです。つまり、復興を50年という期間で考えるということは、たとえば大人たちにとっては、自分自身の子どもたち、孫たちに、普通に暮らす場所としての福島を残すべきかという問題であり、子どもたちにとっては、自分自身の問題だからです。さらにいえば、自分の子や孫の世代の利益を考えることで、人間には自分の利益のためよりもはるかに強い力と結束が生まれることさえあります。

その意味で、今年浪江町で実施された16歳以下の子どもを対象とした「子どもアンケート」は大変興味深いものだったといえるでしょう。このアンケートで子どもたちは、かつてのような浪江町を取り戻すことを求めました。このアンケートが議会や住民にフィードバックされた結果、浪江町民の間に浪江町を取り戻そうという連帯が生まれたと聞いています。浪江町の人びとは、自分の子孫のことを考えることで、人びとがより強い力を発揮することができるということ、長期的に物事を考えることで目先に存在する鋭い利害対立を超えることが可能であることを示したのです。この事実は、長期的な目標をもつことが私たちにとってリアルなことでありうることを証明しているといえるのではないでしょうか。

2に、50年先のために準備しておくことは、なにも福島だけに必要なことではないということです。50年先には日本の人口は8千万人台になると予測されており、全国各地で、地域社会の存亡が問題となることでしょう。いいかえると、どの地域社会にとっても、50年生き延びるということは、もともと文字通り存亡を賭けたチャレンジなのです。その意味では、50年後のための生存戦略を福島が考えるということは、どうせいずれは直面しなければならなかった課題に、他の地域に先駆ける形で取り組むことを意味しています。その意味では、今から50年後のために対策しておいても無駄にはなりません。それどころか、先行して対策をすすめることによって、より他の地域にとっての先駆としての位置を占める可能性もあると思います。私の本業は医療や福祉に関する政策についての研究なのですが、私の専門領域でもそのような事例は多数みられます。実際、今日医療・福祉の先駆モデルとみなされている地域の多くが、貧しい農山村から生まれたものなのです。

3に、長い時間を必要とするような事象は身近なところにいくらでもあり、私たちはそれを自然に受け入れてきました。その意味では、時間を受け入れる姿勢というのは、人間にもともと備わっているものだということです。家の庭木は数年では思うような姿にはなりません。子どもも数年では大人になりません。そういう事実と私たち人間はずっと付き合って来ました。つまるところ人工物以外のものは、人間の意思とは全く別にそれぞれの時間を歩んでいるのであり、私たちはそれに適応する他ありません。そして、私たちは人類史を通じてそれに適応して生きてきたのです。

この度の原発震災で汚染されたものには広大な森林や山が含まれています。これらから放射性物質の影響を取り除くには長い時間がかかるでしょう。ただ、そのことは決して絶望的なことではないと思います。というのも、もともと森林や山を、人間は、半世紀から百年を超える時間をかけて育てるということをしてきたのですから。


4. 福島の復興のために今からできることとは
 
ここまで、時間という要素を考慮に入れつつ復興を考えることの重要性について、私なりの考えを述べてきました。それにしても、50年なんてあまりに遠い未来で、具体性がないように思われるかもしれません。実のところ、50年先のために具体的に今なすべきことがあるかどうか、がこのような長期の目標がリアルなものであるかどうかの決め手になります。そこで、以下では50年後のために今できることについて述べてみたいと思います。

いうまでもなく、もっとも優先されるべきは、住民の安全を確保するとともに、日々の生活を安定させることです。根本的には福島の復興を成し遂げるのは福島の人びとをおいて他にありません。その意味では、福島の人びと自身が復興に向けて強い意欲を持つことが必要であり、さらにそのためには、まずは被災地にある人も避難した人も含めて、福島の人びとの生活の再建こそが最優先になります。

人びとが復興に向かおうとすればするほど、それについて行けずに置いてけぼりとなる人びとも同時に生まれます。このような人びとは、自分が属しているコミュニティに居場所がないように思うようになるかもしれません。このような状況が起きないようにするためにも、日々の生活をできる限り充実したものとして再建することは、復興の前提として位置づけられなければならないものだといえるでしょう。

ただし、とりあえずの生活再建は、50年後などということを考えなくとも、その重要性が自明な事柄に属しているともいえます。以下では、目先の生活再建が最優先であることを認めた上で、50年後における復興ということを考えることで初めて見えてくる具体策について述べてみたいと思います。

1)何のための復興なのかを確認する
そもそも、福島はなぜ復興しなければならないのでしょうか。被災者の生活を再建しさえすればよいのであれば、別の土地で再建を進めた方が簡単でしょう。もう少しいえば、生活の利便性、経済効率性といった観点からみれば、汚染した被災地にこだわり続けるというのは合理的な態度ではないようにみえます。では、それでもあえて福島が復興しなければならないとすれば、それはなぜなのでしょうか。

試みに、人が全く住んでいなかった山林を切り開いた真新しい郊外住宅地を想像してみてください。このような土地に人びとが住むのは、もっぱら、そこが快適だったり、交通が便利だったり、住宅が安かったりするからでしょう。さて、このような土地が放射性物質で汚染されたらどうなるでしょうか。その土地は快適性・利便性・経済性以外の価値をもっていませんので、しかるべき代替地の提供が保証される限りその土地に留まる理由はありません。そこでは、十分な補償がなされる限り、汚染地域の復興自体は問題にならないということになります。

翻って福島はどうでしょうか。上に挙げた郊外住宅地と何が違うでしょうか。私の考えでは、福島の多くの地域には、永年人がそこを舞台として暮らしてきたこと、その結果として育まれてきた文化がある、この点が一番違う点だと思います。「文化」といっても必ずしも高尚なものや観光資源になるようなものを想像する必要はありません。それは、人びとによって編み出されてきた多様な「暮らし方」の総体のことです。それには、たとえば地域の祭りのようなものから、地域の人びとによく知られている夜景の綺麗な場所がある、地域ならではの味噌汁の味がある、ジャズミュージシャンを輩出する場所がある、子どもたちが知っているザリガニ釣りのスポットがあるというようなことまで、なんでも含みます。そういう暮らし方の分厚さ、豊かさこそがここでいう文化的内容と考えましょう。そう考えてみると、福島の各地には実に豊かな文化的資源が蓄積されているということになります。そして、私はこのような文化的厚みがあることこそが、福島の復興の最大の理由ではないかと思っています。

考えてみてください。地域レベルで考えたとき、50年後の子孫に残すにふさわしい遺産とは何でしょうか。経済的豊かさ、たとえば大企業の工場を誘致したとして、それは50年後の子孫に残せるでしょうか。もちろん残せません。というのも、50年という期間は産業の盛衰のサイクルよりもずっと長いからです。実のところ、50年という時間での復興を考えるとき、地域レベルで子孫に残すべきものがあるとすれば、それは文化的なもの以外にないのではないでしょうか。

私は、上でのべたような利便性・経済効率性といった観点からみた合理性が通用するのは、短中期的な意味での合理性に過ぎず、半世紀単位の長期には適用できないと考えています。というのも、利便性や経済効率性は必要に応じて随時構築し直せるのに対し、文化的内容の厚みは一度失ってしまうと簡単に再構築できないからです。この文化のかけがえのなさ、これこそが福島が復興にとって中核となる理由なのだと思います。

話が長くなりましたが、上のことを踏まえると、今から始められることがあるように思います。以下私の考えとして2つの方向での活動を示唆しておきたいと思います。

1に、震災前に地域の人びとがどのように暮らしていたのかについての記憶をできるだけ風化させないように記録しておくことです。一見些細なことに思われるようなものでも残しておくことが重要でしょう。これは、一種の民俗学的アプローチでもあります。記録の仕方についてはその分野の専門家の力を借りることも手でしょうし、個人だけでなく、TV局やラジオ局などがもっているアーカイヴも有用な資源になるでしょう。これらの活動によって、地域における暮らしに関する分厚い文化的内容を情報として保存することができます。

震災後、震災そのものについての記録の重要性については多くの人びとに認識されるようになりました。もちろん、これは震災の教訓を生かすという意味では重要です。ただ、復興という観点からは、むしろ震災前に営まれてきた日常に関する情報の方が、ずっと価値があるといえるのです。

2に、上のような暮らしの記録と併せて、地域における暮らし方にどのような良さがある(あった)のかについて、再発見を進めることです。その際「ヨソ者」の視点が役立つでしょう。彼らは、地元の人びとが何気なく行なっていること、当たり前に思っていることに、驚き、興味を持ち、質問をしてくれます。それによって、地元の人びとは、自分たちの暮らしの特質や、魅力をよりはっきりと理解することができます。これは、まちづくり、むらづくりを成功させる手法として知られている方法ですが、福島の復興にも確実に有効なやり方でしょう。これをシステマティックにやるかどうかはともかく、ポイントは、地域の外の友人の輪を広げてゆくということです。原発震災にはポジティヴな側面はほとんどありませんが、おそらく唯一良いことがあったとすれば、地域を外に開いてゆく機会となったということではないかと思います。これを地域の文化の魅力を再発見する方向に活用すればよいと思います。その際、観光資源になるかどうかはあまり重要ではありません。むしろ、自分たちにとっての復興の理由になる=子孫に残したいと思えるかどうかが重要なのです。

私は、この活動の過程で、地元の人びとが驚くほど、今回の原発震災によってですら奪うことのできなかった地域の良さがたくさん見つかると思っています。というのも、この方法は、従来何のとりえもない寒村と思われていた地域から、たくさんの宝を見つけ出してきた実績のある方法だからです。

2)子孫に文化を手渡すために
これまで50年後の復興ということを述べてきましたが、それは必ずしも地域が大発展するというようなことを意味していません。むしろ、長期的な日本の人口減の過程で、今回の震災で被災しなかった地域を含め、50年後には各地では存亡をめぐる問題が顕在化することが予想されます。つまり50年後の復興とは、上で述べたような文化的価値を手渡す相手がいるということになるでしょう。それは、いいかえれば、地域社会が生き延びるということです。

では、どうすれば原発震災を乗り越えて、地域社会を生き延びさせることができるでしょうか。50年後に地域文化を遺すためには、50年間地域社会が存在し続けなければなりません。そのために何が必要となるのでしょうか。

1に、これはなにより自治の問題であるといえると思います。繰り返し述べているように、被災地にかぎらず日本の大部分の地域について、50年後に地域社会が存続しているということは保証されていないといえます。実際、大幅な人口減を経験することが予想されている中で、50年後には集落単位でみれば多くの地域が消滅することになるでしょう。そんな中で、県も国も、ある一つの地域が他の地域よりも生き延びる価値があるということを保証してくれはしません。結局のところ、ある一つの地域が苦労してでも生き延びるべきであるとすれば、そのことを地域の人びとが決心することなくしては実現できないのです。そして、そのためにはまず自分たちの地域の運命については、自分たちで決めるという自治がそこになければなりません。

2に、ひとたび地域が生き延びることを決断したとしても、被災地においてであろうと避難地においてであろうと、ともかく生活が継続しなければなりません。これは多分に経済の問題になってきますが、ここでは1点だけ述べておきたいと思います。それは、50年という長きにわたって生活が継続するためには、大小無数の工夫が必要になるということです。経産省あたりが考えつくような大型の企画1つで生き残ろうとするようなモノカルチャー的発想は、長期的な地域社会の存続戦略にとって合理的とはいえません。

そして、大小無数のアイデアが常時生まれるためには、「苗床」のようなものが必要になります。私の理解では、ここでも上で述べたような開かれたコミュニティとなることが大変重要であると思います。地元の人びとが地域社会の価値に気づくことと、さまざまなアイデアが外部からもたらされることが、「苗床」を大きくするからです。

その際、現状からみて乗り越えなければならない点もあります。それは、地域社会存続にとって地域社会に関心をもつあらゆる人びとを仲間としてゆくということを認める必要があるということです。その中には、今回の震災で地元から外に出た多くの「避難者」も含まれます。この度の原発震災の過程で、避難した人びとと現地に留まった人びととの間に深刻な亀裂が生まれたように思います。そこにはそうなってしまう経緯があったことは、私も「ヨソ者」ながらある程度承知しています。ただ、本文の立場からいえば、どちらも地域社会の未来にもっとも強い関心をもつ人びとであることには変わりないということは指摘しておくべきでしょう。私は、むしろ今回の震災で福島の人びとが県内は全国各地に散らばったことを、より開かれたコミュニティを作るために利用する、というしたたかさが求められているのではないかと思っています。


5.まとめ

以上、長々と書いてきましたが、この文章で要点となることを以下にまとめておきましょう。
1) 長期的視点から復興を考えることで不可能が可能になる。
2) 地域文化を点検してゆくことで復興の理由が見えてくる。
3) 復興のためには地域が生き延びることを地域の人びと自身が決めること(=自治)が必要になる。
4) 地域文化の良さを理解するためにも、生き延びるアイデアを得るためにも、地域はより開かれたコミュニティを作る必要がある。

このようにまとめると、長期的な視点からみる限り、福島の人びとが立ち向かわなければならない状況というのは、震災前にあった状況と大して違わないということがわかるのではないでしょうか。一部の地域を除いて、福島でも多くの土地が、震災前から進行する高齢化・人口減少の中でどのように地域づくりをしてゆくかという問題にぶつかっていました。そして、その中で奮闘されていた人も多くおられたはずです。要は、その続き、やりかけの仕事に戻ればよいのです。しかも、今度は地元の人びとだけではありません。本書の読者を含め、多くの福島県外の人びとが、今度は友人として福島の復興に参加してくれるはずです。かくいう私もその1人として、一番後ろからついて行くことができればと思っています。

1 件のコメント:

  1. この文章が掲載された本、全体についての読書メモ書きました。
    http://tu-ta.at.webry.info/201406/article_5.html
    ただ、猪狩さんの文章については、ほとんど同意だったので、紹介しかしていません。

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