2012年12月20日木曜日

施設でもなく在宅でもなく


私が『病院の世紀の理論』という「の」の多いタイトルの本を書いておよそ2年半になります。有難いことに本書は版を重ね現在第5刷に達しています(と言っても冊数は多くはありませんが)。この間、多くの方から書評を頂いたり、本は読みにくいので中身を話しに来いといって講演に呼ばれたりして、それなりに本書で私が意図していたことについては、それを必要とする人びとにはある程度説明してきたといえるのではないかと思っています。

とはいえ、本書を最初から最後までお読みになる方も少ないようです。読者の方、とりわけ実践家の方々からお話を伺うと、とくに第6章(病院の世紀の終焉)が重要とのことで、そこだけがML等で流れてくることもあるとのことです。

ところで、あとがきで少し書いたのですが、本書は出版の期日が迫る中、なかなか脱稿することができず、有斐閣編集部の藤田さんの影に怯えつつ、気配を消そうとしてみたり、連絡がつかない振りをしたりと散々に各方面にご迷惑をおかけした経緯があります。

実は、その最大の原因は、第7章がうまく書けないことにありました。結局、脱稿した段階でもまだ混乱を収拾しきれなかったことがおそらく原因なのだと思いますが、この部分について感想を頂くことはこれまでほとんどありませんでした。その意味では、第7章は本書の中ではもっとも読まれない、もしくは何を言っているのかわからない章となっているといえるでしょう。

ただ、この章には、政策的にみると、病院の世紀の終焉と並んで重要だと私が考えている論点が含まれていました。それは、ここ30年以上の間医療政策の基本とされてきた「社会的入院」を減らしてゆこうとする政策が、そもそも基本認識のレベルで間違っていたのではないかという論点です。

最近『精神医療』誌からの依頼で、この論点に関わる議論を含む小文を書きました。そこにおいて、第7章でうまく議論できなかった点を、簡単ながら述べなおしてみました。依然として、私の論点が伝わりにくい部分が残っているかもしれませんが、ひとまずどうぞ。


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施設でもなく在宅でもなく
 猪飼周平「地域包括ケア化の論理」『精神医療』69(近刊)より抜粋

よく知られているように、日本では1970年ごろには一般病床数が先進国水準に到達していたが、その後も1990年代後半まで一般病床は増大し続けた。その過程で、「病人」の代わりに大量の「老人」が病床を占めるようになった。もちろん、ここまでは単なる事実の確認にすぎない。重要なのは、この状況を医療関係者がどのように理解したかということである。彼らの認識をもっとも端的に現しているのが「社会的入院」という言葉である。この用語は、もちろん「濃厚な医学的治療を必要としない人びとが別の理由で入院している」ということを意味している。だが、実はその説明には「病院は本来純粋な医学的治療の場であるべきなのに」という前提的認識が隠れている。つまり、社会的入院という概念は、生活の場と医療の場は別に用意されなければならないという規範を前提しているのである。

だが、この規範は高齢者のQOLという観点からみてはたして正当であるといえるだろうか。もし正当であるなら、病院の在院日数を可能な限り短くするなどして、「社会的入院」は一刻もはやく解消し、高齢者を地域社会に返した方がよい、ということになる。そして、それはヘルスケアの生活モデル化、地域包括ケア化の方向ともマッチするように見える。

だが、1970年代から比較的最近までの期間、高齢者のQOLの改善は病院から高齢者を追い出すことによって進展したのではなかった。

実際、高齢者を多く収容した「老人病院」については、何かとスキャンダルに事欠かなかったし、「社会的入院」という考え方を支持する人びとは、病院に高齢者を入院させていることにその問題の根源があると考えてきた。だが、同じ時期、アメリカではほとんど同じタイプのスキャンダルが、病院を退院させたあとの受け皿としての機能をもつナーシングホームで続発していたのである。このことは、高齢者のQOLの増進が、生活と医療を厳格に分離・運用するという「社会的入院」概念の理想によっては実現しないということを示している。

1970年代における寝たきり老人に関する報告からわかることは、当時の状況が、在宅にあった高齢者も、特養に収容されていた高齢者も、「老人病院」に収容されていた高齢者も、今日的基準からみれば劣悪な状況に置かれていたことに変わりがなかったということである。そして、その後高齢者の処遇の改善は、程度の差こそあれ、在宅でも、特養でも、病院でも同時並行的に進んでいったのである。そこにあったのは、私たちの社会において、高齢者に対する適正な処遇水準に関する規範の「切り上げ」であり、それこそが、高齢者の処遇改善のもっとも重要な動因であったのである。

もちろん、この運動を突き詰めてゆけば、本稿の地域包括ケアの必然性に関する議論にあるように、ケアはより地域的に解決されてゆく方向へ向かってゆくことになるだろう。だが、1970年代当時の状況は、在宅ケアも施設ケアも病院ケアもそのケア能力の潜在的限界よりもはるかに低いレベルで行われていたのである。そしてその状況は今日でも本質的には変わっていない。現在でも高齢者施設や病院の中でどこまで高齢者のQOLを引き上げることができるか、という観点からの模索はいまだ限界まで行われているとはいえない。

このことから1つの重要な政策的示唆が得られる。高齢者に対して生活モデル的にアプローチすることは、少なくとも現状では、施設ケアや病院ケアの縮小・解消と同じと認識すべきではないということである。生活モデル的観点から、在宅、施設、病院のすべてのケアを見直してゆくということが、むしろ求められているのである。重ねていえば、生活モデルと地域包括ケアの関係は、あくまで原因と結果の関係にあるという認識が重要であるということである。

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